スリランカ編 ついていったらこうなった②
スリランカの古都キャンディにて、
「声をかけてくる人にはついって言ったらあかん」
と、インターネットやガイドブックに書いてあるので、あえてついていってみようと、キャンディの街をウロウロ。
5歳上くらいのナリンという男に声をかけられた。
ナリン「どこ行くんや???ガイドしたるで???」
僕「ファイヤーダンスのチケット持ってるからファイヤーダンス観たい」
ナリン「ほなついてこい」
で、ほいほいナリンの後についていってホールの中へ。
こんな感じのファイヤーダンスでショー自体は面白かった。
でも始まってからナリンが「チケットを係の人に見せなあかんから、俺によこせ」
とか言ってきたから「見せなあかんとしたら俺が見せに行くし、ええわ。」と断ってたんやけど、あまりにもしつこくてショーに集中できひんかったから渡してしまった。
奴は帰ってこーへんかったから、「外で転売してるんやろなぁ」とか思いつつ、でもまぁ、さすがガバガバスリランカ、チケットを見せる機会は一度もなく、ホールを出て、ナリンと合流。
なんでか知らんけどミャンマー人の上座仏教徒だと思われて、割安の入場料で中に入れた。
で、ナリンがいろいろガイドしてくれた上、「彼は友達の仏教徒だ。」と寺の人に紹介してくれ、ブッダの歯をはじめ、観光客がいけへんところも入れた。
同じ仏教徒としてロウソクをあげたり、仏さんに手を合わせたりしてる姿をみてると、なんかこいつ信頼してもええんちゃうかなぁ、て思った。
まぁ、できるだけお金を取りたいナリンとあげたくない僕とのやり取りも面白かったんやけど(笑)
そして、お寺の後は二人でローカルなバーへ。
スリランカは真面目な仏教国やから、バーはこんな風に地下でひっそりやってて、鉄格子越しにビールやマリファナを買って席で飲む。(断固として割り勘で飲みました笑)
このタイガーストロングという度数10パーセントのビールを馬鹿みたいに飲んで、馬鹿みたいにマリファナを吸いながら、ナリンとお互いの夢の話とか、お互いの国の話をした。
ナリンがもうべろんべろんになったから、そろそろ解散しようということで、店の前で抱き合って
ナリン「いつか絶対日本行くからな」
僕「そん時はお前からお金だまし取ってやる」
ナリン「結局全部割り勘やったやんけ」
みたいな話をしたのは覚えている。
帰り道、普段僕はめっちゃお酒つよいねんけど、マリファナのせいもあって、フラフラで道の上に大の字で寝ころんだら、視線の先にブッダが。
永遠に、仏教徒でいようって思った。
(空港で「麻薬は死刑」みたいなことが書いてあって、麻薬犬に大ビビりしていたのは内緒や)
つづく。
スリランカ編 ついていったらこうなった①
2018年3月、スマトラ島から飛んで、番外編のスリランカの旅。3泊5日の弾丸旅やったけれどもいろんなことあった。
空港を出れば白タクの勧誘がすぐあって、「他のタクシーの値段も確認させてぇや」というと、「じゃあもしそのタクシーの方が高かったら、俺にもその値段払いや」と。
さすが、やるな観光立国。夜12時近かったし、他の交通手段もなく、負けたわ。しゃーない、”ついていこう”。
運転手のおじさん、乗ってしばらくすると「疲れたな、ホテルいこうや。」と。
ええええ、ホテル?!///
まぁ、でも、、初めて来た国で、ホテルなんて行きづらいもんね、、、。
「うん、ついていく//」
ホテルの中に入るとこんな時間なのに、男の人ばっかり。。。
おじさん、こういうとこよく来るのかな、、?
つゆだくの、頼んじゃった♡
実にローカルな食堂の冷めたカレーとチャパティをいただき、ホステルへこの日は移動。(金ないねやし、ホテルなんか泊まるかいな)
次の朝は時間もないことやし、すぐに首都のコロンボから古都キャンディに移動。
そしてキャンディまでは電車移動。ドアが開くと、すごい勢いでなだれ込む人々、大阪パワー炸裂や負けてられん、なんと席を確保したわけやけど、おじいちゃんが来て結局ドアの手すりにつかまって移動する羽目に。
キャンディにつき、トゥクトゥクで移動。トゥクトゥクのおじさんはトゥクトゥクを降りようとすると、自分が案内するツアーを宣伝してきた。
「キャンディツアーはどうや?日本人やろ?日本人にはいつもツアー行ってもろた人にノート書いてもらってんねん。こんなに絶賛やで。」
ノートをとると、中には ”最悪のツアー” とか ”彼は詐欺師” とか書かれてた。
うん、ついていくかいなボケ
活気あるマーケットに行った後、また食堂でスリランカカレー
激辛でクセなるわぁ。(ここから5日間、ほとんどカレーしか食べへんかった。)
それから、キャンディをお散歩。
で、キャンディの真ん中にこんな感じの池があるんすよ。この周りには変な輩がいっぱいいて、観光客に英語で声をかける。
で、いろんなブログ読んでると、
「キャンディには観光客に声をかけてくる人がいるが、絶対に相手してはいけない」
「ついて行ったりしたらアカン」
といろんなところに書いてある。
よーし、これからこの池の周りグルーって一周して、声かけてきた人みんなに
ついていこう
初めて2分もないうちに ジャパニーズ?? おじさんに声をかけられる。
「ファイヤーダンスみぃひんか?」と。あぁ、民族舞踊ね、ええやん。
言われるがままついていって、小さい雑貨やの奥の方で、「チケット」と称したお粗末な紙を購入。
帰り際に「チップとしてタバコくれや」と言われたから、インドネシアで買った甘いタバコをあげた。
「もっと辛いのがよかった」やって、一言多いねん!
二人目も戻ってすぐ声をかけてきた。多分同世代くらいの人。ついていく
僕がスリランカの言葉シンハラ語を勉強したかったから、「小さいシンハラ語の辞書が欲しい」というと、モールの書店から個人の本屋まで40分くらい探し回ってくれて、日本語↔シンハラ語のハンディタイプの辞書を入手。
「こんだけ探してくれたし、お目当てのものも見つけたし満足や。チップあげよう」と思い、お釣りをあげようとすると「俺も大学生やしいらん。」と言われた。
単なるええ奴やんけ
三人目は池を半分くらい回ったところで話しかけてきたおじいちゃん。
こんなデカいトカゲがおって、見とれてたら
「それ毒持ってるし何人も殺してるから危ないで」って。ホンマかいな
僕が日本人だというと、「わしは日本の出資で建った小学校で校長先生をしてる。日本はええ国や」と。
へえ、そうなんや、小学校の校長~
「兄さんも若いねんし、若い子のマッサージはどうや、フ○ラチオでもなんでもするで」
いや、小学校の校長-----!!!!嘘つけーーーー!!!
小学校の校長っていう嘘がキショかったし行かへん!興味はあったのにマッサージ!
四人目、イギリス人?の老夫婦。
僕はこん時、スリランカの民族衣装のサロンを履いてた。目茶目茶涼しいし。
すると夫の方が「君たちスリランカ人はいつもそれ履いとるけど快適なんか?」
えええ、スリランカ人、、、、色黒なだけやん、、、
「うん、快適ですわ」とだけ返事(笑)
五人目はナリンという名前の5歳くらい年上の人。
この人は長くなりそうやから次の記事で!!!
つづく。
アフリカ編 涙の帰国
コーヒー天国ルワンダももうお別れ。
最終日は同行者のレオンとお土産探してブラブラしたり、ビール飲んだりして過ごした。
最後の夜。
最後の夕飯はアフリカらしく、安くて、淡白で優しい料理。恋しくなるなぁ。
この店のおばちゃんに「僕はアフリカ最後の飯やってん」っていうと、
ハグしてくれて「来てくれてありがとう、誇りに思うよ」って言ってくれた。
そんなん言われたら悲しくなるよなぁ、、。
で、ケニア、ウガンダ、ルワンダの三か国を一緒に回った同行者のレオンは次のタンザニアに行くために夜中3時の便で先に宿を出る。
くだらんことでゲラゲラ笑ったり、人生の話したり、同い年男子の旅はホンマに楽しかった。シャイな二人は「じゃあな」ってだけ言って解散。
で、部屋の机の上見ると
あいつの描いた絵、コーヒー農園の山の頂上、、、。
裏には熱いメッセージが。
終わり。
オナニー記事ごめんやけど、ホンマにアフリカ行ってよかった。
次からはペース取り戻すんで(笑)
次はスマトラ島の次に行ったスリランカの記事と、アフリカの前に行ったモルディブ・インドの記事。
で、来月からは(恐らく)ベトナム、ヨルダン、イスラエル、エジプトに行きます。
お楽しみに
アフリカ編 ルワンダ虐殺について
コーヒー農園を訪ねた後、次の目的であるムランビ虐殺記念館に向かう。
ムランビ虐殺記念館の行き方としては、前の記事で行ってたニャマガべバス停からバイクなりなんなりをつかまえて山を登って行ったかなり遠いところにある。ここで注意としては、バイクで帰りたい人は行きの運転手の電話番号を聞いておくこと。虐殺記念館の付近には交通はないから、係員の人に電話かけてもらって、バイク呼んでもらうことをお勧めします。まあ、綺麗な山道やから歩いて行ってもええけど、未舗装やし、日暮れたら偉いことなるで。
行き方の方はさておき、このムランビ虐殺記念館とキガリ市内のキガリ虐殺記念館で観た展示はめっちゃ衝撃的な経験やったから、そこでの体験をノージョークで書いていく。なんでか知らんけどノージョークの記事の方が伸びてるねんな。なんなん、そんな僕のジョーク嫌いかワレ
とりあえず、ルワンダ虐殺って何やねんってことで簡単に何があったか説明していく。
ルワンダ虐殺 - Wikipedia←小難しい感じやから読みたい人読んどいて
まず初めに、当時ルワンダを支配していたベルギーは民族を三つに分けた。
大多数のフツ族と少数のツチ族、ピグミー系のトゥワ族に分けたんやけど、実はフツ族とツチ族には民族的には何ら違いはなくって、宗主国が勝手に分けた。博物館には鼻の高さを図っている写真があった。
宗主国ベルギーは比較的背の高くて、色が薄くて鼻の高い、いわゆる”オレらに似てる”少数のツチ族に支配権を持たせて、フツ族は迫害された。
これにフツ族はとうとうキレて、ツチ族を虐殺しまくった。ツチ族はそれから逃れるために多くはウガンダに逃げて、「ルワンダ愛国戦線」が結成された。
これが「ルワンダ大虐殺」という事件。
で、ヤバイと思ったツチ族のルワンダ愛国戦線が戻ってきてルワンダを制圧。やり返されるのが怖いフツ族は多くはザイール(コンゴ)に難民として逃れた、で、今に至るわけ。この100日間の騒動でツチ族の70%、トゥワ族の30%の100万人ほどが殺され、200万人のフツ族が難民になった。1999年の話よこれ。今その辺でフラフラしてる若いのとかオッサンとかみんなこれ経験してたんか、、
で、で、ここムランビ虐殺記念館は避難所やでと騙されて集められたツチ族5万人ほどがまとめて虐殺された現場の学校。
こんな狭い、ポツンとした丘の上で五万人も、、。ちなみに、撮影禁止やったから中の様子は取ってへんので、文章だけで。
博物館の中は虐殺の概要が当時の映像とか写真で分かりやすく説明されてるパネルとか、殺しに使われたナタとか、「ツチ族はゴキブリだみんな殺せ」というプロパガンダのラジオとかが展示されてた。さっきまで友達だった人、隣人、関係なく虐殺、強姦されたって、ホンマ想像もつかんような世界だよな、、。
ジャーナリストがこの様子を伝え、世界の関心が向き、鎮静に向かったと書いてあってやっぱジャーナリズムって大事よ、世界救うもん。
そして、係員の人に連れられて外へ。ここは国連軍の慰安婦施設の建物、とか言っててドン引きながら、学生寮のような長屋へ。
ツンっと鼻につく臭い。
中にはベッドの上に所狭しと横たわる、石膏で処理された虐殺の遺体。
なんか、衝撃やった。
頭蓋骨に穴あいて死んでる子供、子供抱いたままの母、苦痛に顔を歪めたまま死んでる人、、、。
人を殺すってどれだけ残酷なことか。でもそれを集団でなら平気でやってのける生き物が人間やってこと、永遠に覚えとかなあかん。
てな感じで、衝撃的なムランビ虐殺記念館を出て、次の日はキガリ虐殺記念館に向かった。中心部とは別の丘やけど、バイク使えばすぐ。
ここは綺麗に整備されて、クーラーガンガンやった。展示の内容は大体同じやったけど、衝撃的な部屋が一つあった。
中に入るとびっしり虐殺で亡くなった人の生きてた時の写真が。
友達同士だったり、家族の記念撮影だったり、、
なんか、この写真の人がお母さんで、これが娘、これが妻で、あれが親友、って人が実際にいるんやなって思うとホンマ泣けてきて。
大泣きしました。
庭は亡くなった人の墓になってて、今でも花を添えに来る人がいた。
あかんあかん、しんみりしてきた。
次回は帰国かぁ。
つづく。
アフリカ編 ルワンダコーヒー農園
そして次の日。ルワンダのお目当てであるコーヒー農園に行くために、農園ガイドにアポを取り、朝のバスを予約しに行く。
ルワンダ人は他のアフリカ人よりも時間を守るねんな。だからバスもちゃんと定刻通り、それか定刻の1,2時間前に来たりするらしい。はぁ?!?いくら遅れてもええけど定刻前はあかんやろ!?!?
まぁ、朝五時ちゃんと定刻に来やがった。眠いし遅れてほしかったんやけど。
キガリのNyabugogo(ニャブゴゴ)バスターミナルから3時間、ルワンダ南部の町、Huye(旧Butare)に移動し、HuyeのNyamagabe(ニャマガべ)バスターミナルからNyamaga(ニャマガ)行きのバスに乗り換えてGakoというバス停で降りる。
まあ、どこがGakoかわからへんやろうし、目を凝らしてHuye mountain cofeeを車窓から探すんや!それしかない。
というわけで皆いくで~!
ニャブゴゴ・ニャマガべ・ニャマガ・ニャマガべ・ニャブゴゴ
どれがどのバス停か覚えたな???次行こう!
こんな感じの綺麗な景色が続く。ルワンダはこんな田舎でもコンクリートが途切れない凄い国やで。。なんか敷きたてのコンクリ走って運転手さんめっちゃ怒られとったけど。
着いた着いた。こんな感じの建屋で、ド田舎にポツンとあるHuye mountain coffee。
適当なこと書きやがって!!!(笑)ド田舎やでこんなもんはないぞ!飯食うとこも水買うとこもないで!たまにバナナ売りがいるだけ。(でもこのバナナめっちゃ旨い)
で、おいしいコーヒーでもてなされながらガイドの”Mr.Coffee”を待つ。日本語も少しだけ話せるいいガイドやったで。
奥のあの山がコーヒー農園の山。想像以上に山登りやった(笑)
こんな感じで山に入っていく。コーヒーが育つには少なくとも標高500m、いいコーヒーだと1500mはあるから結構登るで。
こんな感じでコーヒーの成長過程や、歴史を順を追って説明してくれる。初めてコーヒーを発見したのはエチオピアの羊飼い、KALDIらしい、あのKALDIよ。
で、この苗から大体3年くらいしたら毎年一回収穫できるようになるわけ。
あれあれ、農薬の代わりに害虫駆除とかにタバコの汁撒くらしいで。そら相性バツグンなわけや。でもここで育ててるアラビカ種は病害虫に弱くて、すごい苦労してるみたい。
美しさすら感じるコーヒー果実。そしていつも通り、コーヒーチェリーを実食。果実はめちゃめちゃ甘いのよ。コーヒーは果実、これみんな忘れんといてな。
コーヒーチェリーにはたいてい二つの豆が入ってる。大体50杯分のコーヒーがコーヒーノキ一本からとれるんやけど、でもこれ収穫は全部手作業。 これを高地の急斜面でやらなあかんわけやからずいぶん骨の折れる作業よな。
そして山頂でコーヒー豆を手作業でロースティングした。なんだこれ最高かよ。ちなみにこの自分でローストした豆はちゃんと次に行く作業場で梱包して持って帰れる。
そしてHuye mountain coffeeの山頂。
Mr.coffeeとルワンダと隣国ブルンジの景色。ルワンダブルンジの歴史を説明してもらった。
で、ここで洗浄して果実を取り除く。なんぼするんやろかこれ。聞くの忘れてた。
それから乾燥させると、みんなご存知の生豆の形になるわけ。ルワンダでは昔は先に乾燥させてから果実取り除くのが主流らしいねんけど、今はこうするのが主流。
帰り道のところにはバナナ農園があって、そこのガキ共が大量に出てくる。本当アフリカというか特にウガンダルワンダは子供若者ばっかで高齢者みぃひんのよな。
地元の女学生たちが出てきて、頑張って我々外国人に英語を使って話してくる。そんな、、別に君らくらいしか英語でけへんで。。こういう時ふざけて卑猥な日本語教えるバックパッカー多いねんけどみんなはそれやめときや。
そしてツアー終了。30ドルくらいのツアーやけど、自分でローストした豆(粉でもくれる)と、ここが売ってる商品の豆お土産でくれるし、オススメのツアー。
そして、ここからまたバスに乗り、ムランビ虐殺記念館へ。
やっぱここくらいになると、英語がなかなか通じない。ルワンダ語ちょっと勉強しといてよかったわぁ。
つづく。
アフリカ編 ルワンダキガリ街歩き
そしてルワンダへ。ルワンダのバスターミナルに着くと一組の日本人男女が。(また大阪の人ら)その二人もカップルとかそういうことじゃなくて、旅の途中でたまたまあった僕とレオンみたいな関係(僕らもそういうことちゃうで)。
絶対ヤってるよなあいつら、とかレオンと言いながら四人でご飯に行く。そこのレストラン、アフリカンコーヒーとか書いてて、なんだろうなと思って頼むと、アフリカンティー(ジンジャー味がのするミルクティー)にそのままネスカフェのインスタントコーヒー淹れやがった。ルワンダではこういう飲み方すんのかなと思ったけど、金輪際その飲み方に出会うことはなかった。
今までのケニアウガンダはコーヒーの名産地であっても、元宗主国のイギリスの影響かコーヒーはあんま飲まずに、紅茶を飲む。(スワヒリ語でチャイだけど、普通の紅茶)
でも、ルワンダは元フランスの植民地やったから、その影響はなく、コーヒーをバンバン飲めて嬉しい。
おしゃれなトルコ人?経営のカフェに行った。
僕は生まれも育ちも大阪やけど東京住みやから、大阪東京の違いで結構盛り上がるけど、今回は大阪東京くらいの距離やけどもっと違う、ルワンダとウガンダの違いで盛り上がってみる???
①ボッたくらない
ウガンダとかケニアとか、まあ、海外あるあるやねんけど外国人が来ると値上げしたりする。でもルワンダ人って外国人が来ても定価だし、「ヘイ、チャイナ!」もない。だからルワンダほんの少し物価高いけど、ぼられたなんて思わず、あんま値段交渉しすぎないようにね。
②ケチャップじゃなくてマヨネーズ、ビーフシチューじゃなくてミネストローネ
これはkatogoっていう朝レストランに行くとこれしか置いてないって言われることが多いくらいのアフリカの朝食の定番。バナナをビーフシチューで煮たもの。腹持ちがよく、安くて好き。ウガンダケニアでは主食のウガリとか米になんでもビーフシチュー(現地ではBeef stewという。)をかけるのが定番。
安い田舎んとこで食べたから汚いけど(鉄くず入ってた。なんで?)、これがルワンダのkatogo。こっちはフランスだからか、ビーフシチュー味じゃなくてミネストローネ味。チキンのスープとかもなんでもミネストローネ味。
ルワンダではウガリを食べる機会少なくなり、なんでもフレンチフライ。そして、付けるのはケチャップじゃなくてマヨネーズ(おかげで帰国後もポテトにはマヨネーズ派になってしまいました。)
③言語の違い
ウガンダケニアではみんな基本の会話はスワヒリ語で、英語圏なので(ちなみに僕の初めての英語圏はウガンダです。)外国人にはペラペラの英語。
でもルワンダでは若い人は比較的英語しゃべれるけど、基本ルワンダ語かフランス語。お会計の「check please」はなかなか通じないから、「ファクティール」を覚えとくとええよ。
てな感じでわかるように、ルワンダ、虐殺とか内戦とかのニュースが有名やけどほんとはこんなにいい国。
ごちゃごちゃもしていない、ゴミ一つない綺麗な街、キガリ。最近ではITで儲けてるらしく、外資系企業とかどんどん来てるらしい。「ホテルルワンダ」で有名なホテルミルコリンズもこの辺。
みんなでサッカーを観ていた。奥にいる中国人はあとでカフェで話した、世界一周している人。これ撮った時は気づかんかった。
おいおい、大丈夫かよ、、風吹いたらやばいんやないの。
とか言ってたら早速大風。大丈夫かあれ(笑)ちなみにこれでビルのガラスとか破れてた。
そしてルワンダの夜景。千の丘の国と呼ばれてるだけあって、丘ばかりで、そこにある家の光が星みたいになってるねん。
さあ、明日は今回の旅の目的、Huyeという町に行って、コーヒー農園に行く。
つづく。
アフリカ編 ケニアからウガンダそしてルワンダへ
ケニアのNEW KENYA LODGEに戻りました。ここは世界一周してるバックパッカーとか、アフリカ縦断中のバックパッカーとかの日本人が集まってる。
ほんでまあ、アフリカまで来ると僕も含め関西人がホンマに多い。この旅で日本人10人くらいに遭ったけど、1人が東北、もう一人が静岡だって言ってる以外はみんな大阪とか兵庫の出身。僕の地元大阪府枚方市出身に関しては僕ともう二人いた。
そしてバックパッカーの中でもたまにいる激やば人種。三年間で世界三周してるおっさん。こういう人って何なんやろ、もう眼がギラギラであかんねん。
ケニアにサファリしに来た大阪出身のさやかさんに
おっさん「さやかさん、明日か明後日ご飯行きましょう。」
さやかさん「いや、まあ、はい。でも私既婚者なんで」
おっさん「いや、そういうのじゃなくてどうですか。」
さやかさん「まあ、行けたら行きます。。」
おっさん「じゃあ、とりあえず確定ですね。」
行けたら行くはやんわり断られとるんやおっさん!!!ちなみになんでさやかさんこんな拒否してるかというとこのおっさんのブログタイトル「世界一周花嫁探しの旅」なのよね(笑)おっさんこのブログ見てませんように見ててもそっと閉じてくれますように!
で、宿の人に案内してもらってウガンダ行のバスを予約。プールとジャグジー付きのバスだという意味の分からないジョークを言われながら予約。
トイレどこか聞くにしろ、握手して「How are you」って言わなあかん。アフリカのこういうとこ好き。
で、宿にもどり、暇だったんで日本人が残したノートを読む。
ひえええええ。まあ、今から出るしいいや。NEW KENYA LODGEいろんな旅人に会えてオススメですが行く人はこういうこともあったので気ぃつけてね。
そして、一緒にウガンダルワンダに行ってくれる同い年の相棒レオン君と共にバスへ。
もうアフリカの赤土で足元はボロボロ。でも旅してるなあって感じがしていい。
そしてもういよいよ安心感すら感じるウガンダのカンパラ。あー、帰ってきた!
そしてレオンがウガンダに来た目的はNEW KENYA LODGEの壁に貼ってあったゴリラのステッカーを探すため。
本屋や雑貨屋に行っては、「すみません、ゴリラのステッカーを探しているのですが。。」と尋ね、店員が電話かけてくれて、ここなら置いてあるかもよとかアドバイスもらいそこに行く、、。
めっちゃ優しいやん!俺が逆の立場やったら「ゴリラのステッカー?(笑)知りませんね(笑)」で済ますところやねんけどな。で、モールの映画館で「MEG」という映画を3Dで観て、すごい面白かった。アフリカまで来て映画観ました。
で、この夜は以前に泊ったSABALIN GUEST HOUSEに宿泊。同い年の男二人でsuchmosでも聞きながらお酒を飲んで語り合ったり、謎のジョークでゲラゲラ笑ったり、ウガンダ人の同い年の女の子もまた混ざって話したり、これはこれで尊い時間やった。。
ボダボダのお兄さんたちをパシャリ。
え??これ??トイレかと思ったわ!ここに並んで、とりあえずウガンダの出国だけ済ませる。ちなみに僕は在日本ウガンダ大使館(民家みたいな大使館)でケニアウガンダルワンダの三カ国を自由に行き来できる、東アフリカ周遊ビザを日本で取っていっているので、出国入国は一瞬。
そしてこんな感じの(ブレブレでごめん)まっすぐでなんもない道を歩いてルワンダの入国へ向かう。この途中に売店とかあったから、あれは空港でいう免税店なんかなあ。
ルワンダ側では、みんなまずバッグを開けられて隅から隅まで見れれる。というのはルワンダではビニール袋の持ち込みが全面禁止で、ここでビニールがあれば没収される。(ケニアウガンダではここまではないけど、スーパーとかはビニールじゃなくて、布の袋をもらえる。ケニア行きのバスに乗る時も確かビニール捨てさせられた気がする。)
僕はビニールの圧縮袋持ってたんやけど、「捨てないから許して」という意味不明な言い訳が通り、スっと入国。
つづく。